リンゴの木箱をインテリアに
空間デザインに活用する新しい商品
会社代表・起業家 姥澤大さん
青森県には基幹産業であるリンゴを支えるさまざまな道具や資源がある。姥澤大さんの家業は、リンゴを運ぶために用いる木箱を生産する工場を営む。木箱はすべて職人の手作り。姥澤さんの工場では年間約40万箱を生産し、畑から収穫されたリンゴを市場へ運ぶため、冷蔵庫に貯蔵するために使われている。
リンゴの木箱をインテリアとして販売しようと仕掛けたのは2009年頃。リンゴ農家が道具箱として利用している姿を見て、思いついたことがきっかけだった。確信や自信があったわけではない。周囲からは懐疑的にみられることもあったという。しかし、ネットで販売を始めると県内外から引き合いや新店舗の店内にリンゴの木箱を取り入れたいといった依頼が増えるようになった。
決して順調な事業とは言えないと姥澤さん。建築材で余った木で作られる集成材の木箱や一度使われた中古の木箱を販売していたが、その年の収穫量によって木箱の流通量も左右されるほか、県外に木箱ごと出荷された場合は、回収されずに廃棄されるケースがある。そのため、青森県内の木箱の数量が年々減少し、箱不足が問題化しつつある。「商品としては課題が多い。試行錯誤の連続で、現在も挑戦し続けている」と話す。
青森から全国に向けて挑戦
姥澤さんは20歳で東京の住宅建材メーカーに入社し、営業や商品開発に携わる。建築士の資格を取得しようと、昼間は会社に勤める傍、夜間大学で建築の勉強をした。独立をしたのは31歳の時。デザイン事務所として家具の施工図を書いたり、インテリアの販売などを行ったりした。家業を継ぐことになったのはこの時期で、青森と東京を往復する機会が多くなった。上京した時にはいつか青森に戻り仕事をすることを決めていたと姥澤さん。パソコンとファックス、電話があれば仕事はどこでもできる環境にあったことも後押しする。そして、独立して4年後には青森へUターン。2013年には板柳駅前に初の実店舗となるライフスタイルショップ「monoHAUS」を開店させた。
「青森県にはリンゴという代表的な第一次産業はあるが、全国でも名前が通用するような企業はない」と姥澤さん。一石を投じるような企業や新しい価値観を作り出すことができればと意気込みを語る。現在でも常に勉強する姿勢は持ち合わせ、県外へ出向いて企業家たちとの交流や勉強会に参加する。「この程度でいいと区切りをつけることだけはやりたくない。求められていることには全力で取り組みたい」。青森から挑戦する姥澤さんの試みはこれからも続く。
姥澤大さんからのメッセージ
- 「本気になると道は見える!」とエールを送る姥澤さん。何事にも一生懸命という姿勢を忘れないことと、自身にも言い聞かせている
姥澤大
- 青森県板柳町出身
- 勤務先:キープレイス株式会社