【農業】「いつか農業をすると決めていた」|弘前大学 地域創生本部

地域特性を活かした施策
地域活性化施策の企画・立案

【農業】「いつか農業をすると決めていた」

Acali

県外から知識と経験を得てUターンで就農
将来の人生設計を描いた進路の選択

田中裕聖

リンゴ農家 田中裕聖さん

リンゴ生産量日本一を誇る青森県弘前市の中でも、品質の高さに定評がある相馬地区。丘陵地域の豊かな自然に囲まれ、代々受け継がれてきた生産者たちの技術によって全国の消費者にその味を届けている。田中農園もそのひとつで、田中裕聖さんはその後継者。就農の意思を持ちながら県外で就職し、「いつか戻って農業をすると決めていた」と振り返る。2014年にUターン者として青森に戻り、現在は父親と一緒に親子でリンゴ農園を経営している。

就農を意識して決断した20代

田中裕聖

田中さんは弘前の高校を卒業後、上京して理系大学に進学する。農芸化学という分野を専攻し、農産物の生産から加工、保存、廃棄、再生といったサイクルを中心に学んだ。「父親が同じ大学で林学を専攻していた。自分は父親と違う視点で、営農に役立つ考え方を学びたいと思った」と田中さん。いつか実家で就農した際に父親とは違う分野で手伝えることができないかと意識した選択だった。

大学卒業後は都内の農業機械メーカーに就職。営農に関わる情報の発信や商品の販売活動支援、提案などを行なっていた。2年半ほど勤めた後、いったん東京を離れて熊本の事務所に異動する。1年半で再び東京に戻るが、そこから5年間は関東・関西を中心としたエリアで仕事を続けた。田中さんは「大学では知識を身につけ、会社ではその知識を使って仕事をすることができた。目標設計して行動するというビジネス思考の経験を得たことが一番の収穫。就農することは常に自分の頭にあったため、何が必要かという発想を持ち続けていた」と自らの意思を語る。

青森で暮らす理由

田中さんは出張先で青森県産の農産物を目にする機会がよくあったという。「品質は高く、どれもおいしかった。シンプルに青森で農業をやりたい思いがますます強くなった」と話す。また、東京や熊本といった他の地域で生活できた経験も、青森での生活の良さを改めて再認識させた。「東京は不便がなく、多様な生活ができるが、一方で仕事は幅広く時間にも追われやすい。ただ、自分のライフサイクルにタイミングが合わなかったところが大きい」。結婚し、子どもが生まれ、仕事と子育て、家族との生活を考えた時、選択肢として青森があった。

「今は時間にゆとりをもって仕事ができている。家族との時間も両立することができているのは青森に戻ってきたから」と田中さん。長年続けてきたバンド活動にも再び力を入れ始める余裕も生まれ、生活は充実している。「農業はどこでもできるかもしれないが、青森でしかできない農業を続けていきたい」。青森のリンゴというブランドを引き継ぐ若手農家として、田中さんの新たなスタートはまだ始まったばかりだ。

田中裕聖
田中裕聖

田中裕聖さんからのメッセージ

  • 「出会いは大切に、身分が上だろうが下だろうが良いインスピレーションをくれる人は必ずいる」

田中裕聖

  • 青森県弘前市出身
  • 勤務先:田中農園

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